2013年03月17日
ジオサイト守山(自然と歴史) その①
3月16日(土)、久々にジオツアーに参加してまりました。
今までのジオツアー三島と同様、静岡県地学会東部支部増島さんのご案内で、ぽけ子の地元伊豆の国市のジオサイト守山周辺の史跡群と、先月27日国宝の指定について答申が提出された願成就院の運慶作諸仏像を訪れる一日の始まりです。
午前10時に伊豆箱根鉄道韮山駅に集合したのは、案内人の増島さん、郷土資料館の鈴木さん、伊豆の国市歴史ガイドの迫田さんを含めた総勢20名。配られた資料の説明を受けます。
本日訪れる守山は、ぽけ子もよく子どもを連れてハイキングしに来た狩野川のほとりにあるこじんまりした山です。最近は整備され、とても歩きやすくなっており、今からの時期は狩野川の土手沿いに桜が咲き乱れ、沢山の方がお花見に訪れます。(桜まつりも開催されます。3/23~4/14)
守山の周辺は平安末期から鎌倉、室町、戦国時代へと続く様々な史跡が観られる伊豆の国市の代表的な歴史観光のスポットの一つでもあります。ジオサイトとしての見どころとは!?
守山の周囲に広がっているのは『田方平野』、伊豆の穀倉地帯としても有名な狩野川の沖積地が広がっています。韮山駅からちょっと歩いて、田方平野の田圃の中に立つと、まだ伊豆半島が南の海の海底火山だったた頃の火山の名残り(守山、城山、葛城山やその西側一帯の沼津アルプス)、陸化し始めた頃の火山(天子火山)、半島化しはじめた頃に活動が盛んだった山々(天城山系や多賀火山)とぐる~っと見渡すだけで、伊豆の大地の歴史を垣間見れるのです。
そして、その田方平野を貫き、本州の太平洋側で唯一北流する川『狩野川』。
現在の川より東側に流れがあり、しかも度々流れを変えたり、一本ではなくところどころに中洲の様な島(蛭ケ小島もその頃は中洲だったかも?)をもつ川で、かつては10年に一度の割合で洪水を引き起こして、暴れ川として名高い川でした。1958年(昭和33年)には、狩野川台風の影響で伊豆半島だけで死者・行方不明者が853人という甚大な被害がもたらされました。そして、その教訓を生かし、兼ねてより工事を進めていた『狩野川放水路』を完成させ、人々はその自然災害を乗り越えようとしています。
ジオが語るのは、大地の物語とそこに暮らす人々の生活との関わり。うん、充分楽しめそうです。
さぁ、前置きが長くなりましたが出発しましょう。
Posted by ぽけ子 at 21:51│Comments(0)
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