2013年03月06日
天狗伝説の国清寺 その②
さてさて、どこか分からない山の中で、大きな身体の天狗達に囲まれた一兆。やっと、天狗にさらわれて、山奥に連れてこられたことに思い当たりました。
さすれば臆病者の一兆。天狗の声が聞こえなくなれとばかりに、耳を手でふさぎ野原に座り込むと、声の限りに泣き叫びます。
「ウェーン!ウェーン!!天狗になるのは、イヤじゃぁー。ウェーン!」
それからの一兆は、三日三晩、夜も昼も構いなく、食うものも食わずに泣き続け、しまいには涙も声も枯れ果ててしまいました。
さしもの天狗達もこれにはほとほと参ってしまい、
「こんな泣いてばかりの弱虫では、天狗などにはなれはしまい。」と笑い出した。
そして、一人の天狗が一兆に近づいて、「おいっ!臆病者、早く目をつむれ。寺に帰してやる。」と言うと、一兆を掴み上げ天高く舞い上がった。しばらく飛んでいたかと思うと、おもむろに一兆は降ろされました。
その頃、国清寺では一兆が神隠しにあったと大騒ぎ。みなで捜し廻り、女衆は仏様にお祈りしておりました。
「ウェーン!ウェーン!!怖いよぉ~。高いよぉ~。」
という泣き声に、みな驚き外に飛び出して釈迦堂の大屋根を見上げると、高い屋根の上で降りるに降りれない一兆が、棟に必死でしがみついて大声で泣いていました。和尚たちは、提灯のあかりをたよりにようやく一兆を降ろすことが出来ました。
一兆はその後、心を改めて仏の道に一信になり、修行のかいあって立派な和尚となり、同じ奈古谷にある高岩院の住職に収まったとさ。めでたし、めでたし。
以上、「天狗にさらわれた一兆」(『伊豆の民話集』勝呂弘編 長倉書店刊)を多少省略・脚色してお届けしました。
国清寺には、他にも幾つか天狗にまつわる伝承があり、その中には明治37・8年年ころ、日露戦争の戦場旅順に行って日本のために戦ってくれた天狗の話しもあります。この天狗が去った後は、天狗が国清寺に現れることがなくなったとか。
(フム…割と最近のことなんだなぁ。)
かつて天狗がいたお寺、国清寺。ぽけ子宅から歩いて4・50分で行ける距離とのこと。ならば、行ってみたくなるのが、世の情け(ってあんまり関係ないかぁ。)
次回は、突然思い立った国清寺行きへと続きます(笑)。
さすれば臆病者の一兆。天狗の声が聞こえなくなれとばかりに、耳を手でふさぎ野原に座り込むと、声の限りに泣き叫びます。
「ウェーン!ウェーン!!天狗になるのは、イヤじゃぁー。ウェーン!」
それからの一兆は、三日三晩、夜も昼も構いなく、食うものも食わずに泣き続け、しまいには涙も声も枯れ果ててしまいました。
さしもの天狗達もこれにはほとほと参ってしまい、
「こんな泣いてばかりの弱虫では、天狗などにはなれはしまい。」と笑い出した。
そして、一人の天狗が一兆に近づいて、「おいっ!臆病者、早く目をつむれ。寺に帰してやる。」と言うと、一兆を掴み上げ天高く舞い上がった。しばらく飛んでいたかと思うと、おもむろに一兆は降ろされました。
その頃、国清寺では一兆が神隠しにあったと大騒ぎ。みなで捜し廻り、女衆は仏様にお祈りしておりました。
「ウェーン!ウェーン!!怖いよぉ~。高いよぉ~。」
という泣き声に、みな驚き外に飛び出して釈迦堂の大屋根を見上げると、高い屋根の上で降りるに降りれない一兆が、棟に必死でしがみついて大声で泣いていました。和尚たちは、提灯のあかりをたよりにようやく一兆を降ろすことが出来ました。
一兆はその後、心を改めて仏の道に一信になり、修行のかいあって立派な和尚となり、同じ奈古谷にある高岩院の住職に収まったとさ。めでたし、めでたし。
以上、「天狗にさらわれた一兆」(『伊豆の民話集』勝呂弘編 長倉書店刊)を多少省略・脚色してお届けしました。
国清寺には、他にも幾つか天狗にまつわる伝承があり、その中には明治37・8年年ころ、日露戦争の戦場旅順に行って日本のために戦ってくれた天狗の話しもあります。この天狗が去った後は、天狗が国清寺に現れることがなくなったとか。
(フム…割と最近のことなんだなぁ。)
かつて天狗がいたお寺、国清寺。ぽけ子宅から歩いて4・50分で行ける距離とのこと。ならば、行ってみたくなるのが、世の情け(ってあんまり関係ないかぁ。)
次回は、突然思い立った国清寺行きへと続きます(笑)。
Posted by ぽけ子 at 08:44│Comments(0)
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